2011年 03月 14日
東日本大震災
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皆さんで、またご家族、あるいはご親戚や知人で被災された方も多いと思います。
心からお見舞い申し上げます。
11日金曜日14時46分頃発生した大地震、自然の驚異にさらされました。
私の所は上の写真程度の散乱で済みましたが、やはり初めての出来事は発生から3日過ぎても、余震の度に恐怖を感じます。この時点で発生時と同じような余震が起きる確率70%、可成り高い確率に愕然とします。
これからも続く余震、
そして二次災害に成らないように気を付けていきましょう。
オリンパス E-PL1 14-42mm
長文ですが、よかったら下の文字をクリックしてください。
住んでいるマンションは築30年以上、
地震発生当初は可成りの横揺れで反射的に直ぐに外に出てしまいました。
建物が古いという意識が強かったので、崩れ落ちる恐怖は拭いきれませんでした。
外に出るのは危険ですが、電線、電信柱、鉄筋の立て看板や街灯、車も走行出来なくなり、あらゆる物が大きく揺れて、自分自身立っているのにガードレールに捕まっているような状態でした。
数十分たち揺れも少し収まり戻ってみると玄関やキッチンなど歩く隙間がほとんどなく物が落ち、食器は割れて、ブラウン管テレビは重いのですが動いていてミニコンポも台から落ちるなど後片付けに時間が掛かりました。食器棚、タンスなどは地震対策用突っ張り棒を使用してましたので、倒れずに済みましたが、上に物を乗せておく物ではないとつくずく思いました。
しばらくは余震の度に外に避難していました。
いまも揺れが大きいと身構えてしまいますが、冷静な判断をしなければ成らないと思います。しかし、外からマンションが横に揺れているのを見ていると、「いつ崩壊してもおかしくない」と思いました。
家族との連絡は携帯、固定電話はなかなか通じなく2、3時間掛かりましたが、連絡取れました。大丈夫だろうと思いながらも、安否確認まではやはり不安ですね。
嫁さんは職場が新宿でしたので、何とか朝方の西武新宿線に乗り帰って来ました。
都心から約16km離れているのですが、住んでる前の新青梅街道は夜中は交通量や人影も少なく、静かなのですが、この日は一晩中帰宅する方で人の波は切れる事無く、道路は大渋滞でした。予想で覚悟はしていたものの震災で交通インフラがマヒすると、現実は可成り厳しい状況に成るのだと思いました。
今日11日は撮影だったのですが、やはり延期になりました。
レンタカーを朝6時過ぎに借りて機材を積み向う所でしたが、既に新青梅街道など幹線道路は大渋滞でした。ガソリン販売もまま成らない状態で、借りた車は7割程度の燃料しか入ってませんでしたが、あらゆる流通が機能していない状態ですので、いかに普通な事が便利な世の中だったのかと実感しました。
各社電車も規制されていましたので、自転車や徒歩で仕事場に向う姿が多いのには、こんなに(朝6時頃)朝早くから見掛けるのは初めてでした。4月頃まで規制は続くそうなので、何とか対応して行かなければならないですね。
上記は気象庁発表の時刻です。
発生から、この日記を書く時間までの地震情報は220件以上ですので、
いかに東日本に余震が多いかが分かります。
上記は発生前、8日からの情報ですが、すでに9日から三陸沖の地震が多く成って来ていたのは、予兆だったのかもしれませんね。(後に成って何とでも言えるんで、分かりませんが)
気象庁地震情報
http://www.jma.go.jp/jp/quake/quake_local_index.html
心からお見舞い申し上げます。
11日金曜日14時46分頃発生した大地震、自然の驚異にさらされました。
私の所は上の写真程度の散乱で済みましたが、やはり初めての出来事は発生から3日過ぎても、余震の度に恐怖を感じます。この時点で発生時と同じような余震が起きる確率70%、可成り高い確率に愕然とします。
これからも続く余震、
そして二次災害に成らないように気を付けていきましょう。
オリンパス E-PL1 14-42mm
長文ですが、よかったら下の文字をクリックしてください。
住んでいるマンションは築30年以上、
地震発生当初は可成りの横揺れで反射的に直ぐに外に出てしまいました。
建物が古いという意識が強かったので、崩れ落ちる恐怖は拭いきれませんでした。
外に出るのは危険ですが、電線、電信柱、鉄筋の立て看板や街灯、車も走行出来なくなり、あらゆる物が大きく揺れて、自分自身立っているのにガードレールに捕まっているような状態でした。
数十分たち揺れも少し収まり戻ってみると玄関やキッチンなど歩く隙間がほとんどなく物が落ち、食器は割れて、ブラウン管テレビは重いのですが動いていてミニコンポも台から落ちるなど後片付けに時間が掛かりました。食器棚、タンスなどは地震対策用突っ張り棒を使用してましたので、倒れずに済みましたが、上に物を乗せておく物ではないとつくずく思いました。
しばらくは余震の度に外に避難していました。
いまも揺れが大きいと身構えてしまいますが、冷静な判断をしなければ成らないと思います。しかし、外からマンションが横に揺れているのを見ていると、「いつ崩壊してもおかしくない」と思いました。
家族との連絡は携帯、固定電話はなかなか通じなく2、3時間掛かりましたが、連絡取れました。大丈夫だろうと思いながらも、安否確認まではやはり不安ですね。
嫁さんは職場が新宿でしたので、何とか朝方の西武新宿線に乗り帰って来ました。
都心から約16km離れているのですが、住んでる前の新青梅街道は夜中は交通量や人影も少なく、静かなのですが、この日は一晩中帰宅する方で人の波は切れる事無く、道路は大渋滞でした。予想で覚悟はしていたものの震災で交通インフラがマヒすると、現実は可成り厳しい状況に成るのだと思いました。
今日11日は撮影だったのですが、やはり延期になりました。
レンタカーを朝6時過ぎに借りて機材を積み向う所でしたが、既に新青梅街道など幹線道路は大渋滞でした。ガソリン販売もまま成らない状態で、借りた車は7割程度の燃料しか入ってませんでしたが、あらゆる流通が機能していない状態ですので、いかに普通な事が便利な世の中だったのかと実感しました。
各社電車も規制されていましたので、自転車や徒歩で仕事場に向う姿が多いのには、こんなに(朝6時頃)朝早くから見掛けるのは初めてでした。4月頃まで規制は続くそうなので、何とか対応して行かなければならないですね。
上記は気象庁発表の時刻です。
発生から、この日記を書く時間までの地震情報は220件以上ですので、
いかに東日本に余震が多いかが分かります。
上記は発生前、8日からの情報ですが、すでに9日から三陸沖の地震が多く成って来ていたのは、予兆だったのかもしれませんね。(後に成って何とでも言えるんで、分かりませんが)
気象庁地震情報
http://www.jma.go.jp/jp/quake/quake_local_index.html
by hiroyoshidesu
| 2011-03-14 12:02
| ・日記~毎日じゃないけど
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