2011年 07月 01日
ゴールデンライフ 10号
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都内にある路面電車、都会の交通機関とは思えないような、
のんびりした感じが実に良い。

電車マニアも多く居て、写真を撮っていたが、
僕もその一人のように見えたに違いない。
都営荒川線
発車する際、車掌が二回ベルを鳴らす。
チンチン電車と呼ばれた由来だ。
現在はワンマンカーで車掌はいないが、
かつての東京は路面電車が数多く走っていた。
しかし、昭和30年代高度成長期の頃、
自動車の渋滞緩和対策として殆ど廃線に成ってしまった。
1912年に東京市内電車が誕生して以来、実に100年近い歳月が過ぎ、
今では世田谷線と都営荒川線を残すのみだ。
荒川線は殆ど専用軌道を走り、
自動車と共に車道を走る距離は全体の一割くらいだったから、
奇跡的に廃線を間逃れた。
震災や戦災の度に復旧し、
今日では昔のままの狭い敷地に民家の裏道を走るかのように、
のんびりと進む姿は観る者にノスタルジックな感じを与える。
早稲田と三ノ輪橋の間およそ12㎞を約50分で走るが、
自転車の方が速いのかもしれない。
しかし、何処まで乗っても160円は、
昔の情緒と下町の雰囲気を味わえる安価で充実した観光電車でもあると思う。
木村 弘好 きむらひろよし/フォトグラファー
1963(昭和38)年北海道帯広市生まれ。
(株)エーススタジオを経て(有)活写真事務所にて森山活氏に師事。
1994年〜木村写真事務所設立、フリーランスに。
デジタル写真から絵をおこす「photoEny」は、メニュー・パンフレット・会社案内などに使用されている。
のんびりした感じが実に良い。


僕もその一人のように見えたに違いない。
都営荒川線
発車する際、車掌が二回ベルを鳴らす。
チンチン電車と呼ばれた由来だ。
現在はワンマンカーで車掌はいないが、
かつての東京は路面電車が数多く走っていた。
しかし、昭和30年代高度成長期の頃、
自動車の渋滞緩和対策として殆ど廃線に成ってしまった。
1912年に東京市内電車が誕生して以来、実に100年近い歳月が過ぎ、
今では世田谷線と都営荒川線を残すのみだ。
荒川線は殆ど専用軌道を走り、
自動車と共に車道を走る距離は全体の一割くらいだったから、
奇跡的に廃線を間逃れた。
震災や戦災の度に復旧し、
今日では昔のままの狭い敷地に民家の裏道を走るかのように、
のんびりと進む姿は観る者にノスタルジックな感じを与える。
早稲田と三ノ輪橋の間およそ12㎞を約50分で走るが、
自転車の方が速いのかもしれない。
しかし、何処まで乗っても160円は、
昔の情緒と下町の雰囲気を味わえる安価で充実した観光電車でもあると思う。
木村 弘好 きむらひろよし/フォトグラファー
1963(昭和38)年北海道帯広市生まれ。
(株)エーススタジオを経て(有)活写真事務所にて森山活氏に師事。
1994年〜木村写真事務所設立、フリーランスに。
デジタル写真から絵をおこす「photoEny」は、メニュー・パンフレット・会社案内などに使用されている。
by hiroyoshidesu
| 2011-07-01 16:25
| ・フォト絵に/photoEny
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