2011年 11月 19日
ゴールデンライフ 15号
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皇居東御苑内にある天守閣跡の石積みの上だが、広場として解放していて、周りを観渡す事が出来る。天守閣は建築してから、わずか約20年で大火で焼失してしまったが、天下人はどんな思いで「江戸の町を眺めていたのだろう」と思うとロマンが広がる。
江戸城天守閣跡
皇居東御苑内を歩くと、ひと際目立つ石積みが見えてくる。
天守台だ。
江戸時代に千代田城とも呼ばれていた本丸に天守閣は建っていた。
残念ながら城は江戸末期に焼失してしまったが、
今でも各門や百人番所では天守閣代わりに使われていた富士見櫓など、
当時の名残を観る事が出来る。
1457年に太田道灌によって築城された後、徳川家康が入城。
1603年から1636年頃まで徳川三代に渡り拡張工事が進められた。
しかし、1657年、明暦の大火で焼失してしまった。
その後、江戸の町の復興が優先されたため天守閣は再建されなかったが、
大規模な城郭が出来て日本一の城が築かれていった。
今では石垣の上は広場と成り、周りを一望する事が出来る。
「当時の将軍達はどんな思いでここからの景色を視ていたのだろう」
等と思うと、歴史上話題の尽きる事の無いこの場所は、
日本の歴史を味合う事が出来きる、
都心に有りながら静かで気持ちの良い空間である。
木村 弘好 きむらひろよし/フォトグラファー
1963(昭和38)年北海道帯広市生まれ。
(株)エーススタジオを経て(有)活写真事務所にて森山活氏に師事。
1994年〜木村写真事務所設立、フリーランスに。
デジタル写真から絵をおこす「photoEny」は、
メニュー・パンフレット・会社案内などに使用されている。
江戸城天守閣跡
皇居東御苑内を歩くと、ひと際目立つ石積みが見えてくる。
天守台だ。
江戸時代に千代田城とも呼ばれていた本丸に天守閣は建っていた。
残念ながら城は江戸末期に焼失してしまったが、
今でも各門や百人番所では天守閣代わりに使われていた富士見櫓など、
当時の名残を観る事が出来る。
1457年に太田道灌によって築城された後、徳川家康が入城。
1603年から1636年頃まで徳川三代に渡り拡張工事が進められた。
しかし、1657年、明暦の大火で焼失してしまった。
その後、江戸の町の復興が優先されたため天守閣は再建されなかったが、
大規模な城郭が出来て日本一の城が築かれていった。
今では石垣の上は広場と成り、周りを一望する事が出来る。
「当時の将軍達はどんな思いでここからの景色を視ていたのだろう」
等と思うと、歴史上話題の尽きる事の無いこの場所は、
日本の歴史を味合う事が出来きる、
都心に有りながら静かで気持ちの良い空間である。
木村 弘好 きむらひろよし/フォトグラファー
1963(昭和38)年北海道帯広市生まれ。
(株)エーススタジオを経て(有)活写真事務所にて森山活氏に師事。
1994年〜木村写真事務所設立、フリーランスに。
デジタル写真から絵をおこす「photoEny」は、
メニュー・パンフレット・会社案内などに使用されている。
by hiroyoshidesu
| 2011-11-19 14:34
| ・フォト絵に/photoEny
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