2012年 06月 06日
帯広市内 その3
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その3で最後だが、駅前通りの昔の藤丸近くだ。
昔からある村瀬洋服店。店内に明かりも有り、お爺さんが机の前に居たので、たぶん今も営業しているのだろう。

記憶からすると、近くに「いっぷく」だった名前だと思うが蕎麦屋さんが有った。
子どもの頃、ここで食べたカレー蕎麦が実に美味しかったのは忘れられない。



昔からあるジャズバー。
いま付けたら、ちょっと問題になりそうな店名だが、今もある所を見ると何の問題も無いのだろう。
大学と働くように成ってからは、実家は帯広だが東京に住んでいたので、子どもの頃の盛んな帯広の記憶しか残っていない。西の方は栄えているようだが、東側は年々錆びれて行く速度が速い様な気がする。数年に一度くらいしか里帰りしないので、逆に差が分かるのだろうか・・・そう思うと余計に寂しいが、北海道全体が観光地の様な土地だから、少し目線を外した捉え方も面白いと思う。特に自分の田舎の移り変わりは、なかなか表に出ない話など民族的、風俗的に見て行くと栄えて行った理由が生々しく分かるのかも知れないと思った。
しかし、たまにしか来ないので無くなってしまったら「もう見る事も無い・・・」ので、出来る限り記憶と写真に残しておきたいものだと実感した。
都合上数時間しか歩けなかったが、やはり近所とはいえ歩くと「広い」は北海道では当たり前か・・・次は「自転車にしよう・・・」とリサイクルショップをみて思った(アハハ)
その1
その2
昔からある村瀬洋服店。店内に明かりも有り、お爺さんが机の前に居たので、たぶん今も営業しているのだろう。

子どもの頃、ここで食べたカレー蕎麦が実に美味しかったのは忘れられない。




いま付けたら、ちょっと問題になりそうな店名だが、今もある所を見ると何の問題も無いのだろう。
大学と働くように成ってからは、実家は帯広だが東京に住んでいたので、子どもの頃の盛んな帯広の記憶しか残っていない。西の方は栄えているようだが、東側は年々錆びれて行く速度が速い様な気がする。数年に一度くらいしか里帰りしないので、逆に差が分かるのだろうか・・・そう思うと余計に寂しいが、北海道全体が観光地の様な土地だから、少し目線を外した捉え方も面白いと思う。特に自分の田舎の移り変わりは、なかなか表に出ない話など民族的、風俗的に見て行くと栄えて行った理由が生々しく分かるのかも知れないと思った。
しかし、たまにしか来ないので無くなってしまったら「もう見る事も無い・・・」ので、出来る限り記憶と写真に残しておきたいものだと実感した。
都合上数時間しか歩けなかったが、やはり近所とはいえ歩くと「広い」は北海道では当たり前か・・・次は「自転車にしよう・・・」とリサイクルショップをみて思った(アハハ)
その1
その2
by hiroyoshidesu
| 2012-06-06 02:31
| ・日記~毎日じゃないけど
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